徒然日記:旧ヨーロッパ旅行記(とその他諸々)

日々の出来事を書いていきます(以前は旅行記でしたが)ヨーロッパ旅行記を中心に、日本旅行記とか、カタール航空プラチナの利点とか

もうすぐ日本に帰国です(from カンボジア)

過ぎてみると早いもので、青年海外協力隊員としてカンボジアに来てから、1年3か月が過ぎ、あと約2週間(20日)で帰国する日になりました。

以前も書いた通り、カンボジアでは、プノンペンから15キロほど離れた場所(カンダール州タクマウ)に約1年居住。

↓下の像がタクマウ州のシンボルです。

その後、乾季での度重なる断水(約1か月毎日の断水で、終盤は3日連続で一滴も水が出なかった)でプノンペンに引っ越す等、タクマウ州ではかなりトラブルも多く、カンボジアがまだまだ発展途上国であることを再認識しました。

また、雨季は雨季で、街中は水はけが悪いところが多く、集中豪雨があるとすぐに道路が池のようになってしまいます。

↓雨季、集中豪雨の中トゥクトゥクで帰宅中の写真。

そんな中、職業訓練校でITの先生として1年2か月過ごしてきたわけですが、昨日の最後の授業の終わりに、送別会のようなものを開いてもらい、生徒達からケーキ等でお祝いをしてもらいました。

↓送別時の写真。一応顔は隠しておきます。

活動自体はコロナで活動の種類自体が変わったこともあって、あまり充実した活動ができたとはいいがたいのですが、最後に生徒達皆に送ってもらい、ちょっと感動しました。

来週には、任地(職業訓練校)への最後のご挨拶と、JICAでの最終報告会。

再来週には大使館等への表敬訪問をして、活動は終了となります。

日本に帰るとそうそうに以前の仕事に復職することになるのでまた忙しくなりそうですが、ともかく最後まで気を抜かず、健康にも気を付けて過ごしていこうと思います。

カンボジアでの出来事(1年間のダイジェスト)

昨年3月18日に、カンボジアに来て以来、一年が過ぎました。

今日は、ここ一年の振り返りを簡単に書きたいと思います。 カンボジアに来てから一か月は、クメール語の研修等も含めて、プノンペンに滞在。

独立記念塔など、一通り観光できるところはおとずれました。

独立記念塔

が、このころはコロナの影響と、工事の影響で、王宮内の観光はできませんでしたね。外から眺めるだけでした。

それでも、ワットプノン等有名なお寺なんかは観光したりしていました。

このころは、カンボジアのマーケットなんかもものめずらしく、セントラルマーケット等いろんなマーケットにも訪れました。

新しい国、新しい街に訪れるのはいつもいい経験ですね。

クメールルージュ時代の処刑場、キリングフィールド等も見に行きました。カンボジアの悲しい歴史は来る前にもある程度知ってはいましたが、キリングフィールドとトゥールスレン虐殺博物館では当時の生々しい記録を見ることで、得も言われぬ悲しい気持ちになりました。(下の写真はキリングフィールド。トゥールスレン虐殺博物館は半年以上たってから別途訪れました。)

4月には、海外協力隊員として働く職業訓練校でのカンボジア新年パーティーなどにも参加。初めて職場の先生方、生徒たちとであったのは4月の7日でした。

そして、正式配属は4月25日。 下の写真は、朝礼に初めて参加した際の写真です。

そこからは、まあいろいろ大変だったのですが、活動については省略(^^

カンダール州タクマウという場所は、それほど観光地というものはないのですが、それでも探せばいくつかお寺等観光できる場所はあります。

土日はお休みでしたので、このころは何か面白いところがないか、かなり自転車で走り回っていました。

こちらは名前は忘れましたが、かなり大きな仏像

こちらは、アンコールチェイという比較的奇麗で中に喫茶店のような場所もあるお寺さんです。ただ、家から相当遠い。25キロくらい離れていたかな。自転車だとかなりつらかったです。

こちらは比較的近くにあり、かなり奇麗なお寺さん。公園のような場所もあり、近所の方がピクニックのような形で訪れたりもしています。コールトゥトゥン寺院といいます。イベントが開かれる時には多くの人があつまります。

イベントの時の写真も一枚。

活動で何をしていたかというと、学校でコンピュータのことを教えていました。1枚だけ写真を。こんな感じでした。

まあそんなこんなで、プノンペンから15キロほど離れたちょっと田舎の町で住んでいたのですが、そうすると

道路にはたまに牛があるいていたり・・

事務所には外から鶏が入ってきたり・・

ということもしょっちゅうです。

あと、このあたりは交通事故が非常に多く、それが怖いところです。配属されて4か月くらいで大きな事故を4回目撃しました。そのうちの一つがこれ。ちょっと生々しくてごめんなさい。

自転車で通勤しているのですが、自分が仮に事故にあった時に少しでも大丈夫なように、このころから自転車用ヘルメットを購入してかぶるようになりました。

そして、なんだかんだで9月になり、職種は別ですがもう一人の海外協力隊員がやってきました。  その際、ローカルクメールレストランで歓迎会のようなことが行われたのですが・・

日本人には、ローカルクメール料理はやばいです!(上の料理の中の何がやばいのかわかりませんが・・) 新しく参加した隊員と、私の二人ともが見事にやられました。翌日からかなり長く、下痢と腹痛に苦しむことになってしまいました。現地の先生方は全然平気っぽかったので耐性ができてるんでしょうね。。

そうそう、活動としては近くの高校への職業訓練校の紹介のようなことにも参加しました(こちらはほんとに参加・お手伝いだけですが)

そして10月。10月にはカンボジアに来てから初めて観光旅行に出かけました。他の州に配属されている隊員から一緒に行きませんか?と声をかけていただきました。ありがたいありがたい。

行ったのは、カンボジアで唯一といってもよいくらい美しいビーチが楽しめる、ロンサンレム島という離島です。シアヌークビルから船で渡るのですが、楽しんでいるのはほぼ海外からの観光客のみでした。

ロンサレム島の前にシアヌークビルの町の写真も少し。

そしてこちらがロンサンレム島。本当にきれいなんですが、下の写真だとあまりわからないですかね。。

続いてボッコー山にも行きました。こちらは国立公園らしいのですが、ロンサンレム島に比べると、ちょっと普通の山・・という感じでしたかね。とはいえ自分だけではとても行くのが難しい場所に行くことが出来て大感謝です。

少し活動の話に戻りますが、カンボジアでは9年の基礎教育(日本の小・中義務教育にあたる)を途中で中退する問題が多くあり、それに対する初等基礎教育相当プログラムのようなものも行っています。

Basic Education Equivalency Program in Cambodia

私の任地である職業訓練校でもこのプログラムをサポートすることが決まり、そのイベントなどが行われたりもしました。

そして、10月末には社員旅行のようなことも行われました。

朝に集合してバスで出発

ひたすら走り続け(好きな人はビールのみながら大音量デカラオケ)

泊まるのは、校長先生の実家。何と板間にごろ寝です(背中と腰がやられました)

翌日は何か現地のお祭り

なかなかできない体験でしたが、板間にごろ寝とかはさすがにちょっと辛い体験でもありました。

現地で活動していると、他の日本のNGO団体とかかわることもあります。こちらは農業関係での支援を行っているNGO団体。たまたま私の任地の学校を通してカンボジア現地の農業団体との連絡を取りたいという依頼があったことから、打ち合わせおよび視察が行われ、私も参加しました。

そして、現地で売っていた麺料理・・・まずくはないんですよ。ただ、衛生的に怖い・・この時は特に大丈夫でしたが。

同じく10月末。このあたりになると、新学期の生徒の募集ようようなことも行います。ちょうどカンダール州でカヌー大会があり、たくさん人があつまるその日に大量のビラ配りを行うことに。

行ってみると、他の大学や専門学校などもいて同様に宣伝のビラ配りを行っていました。

配られたビラが地面にたくさん捨てられていますね(笑)。

そして11月。この月には、バッタンバン州に旅行をしてみました。

こちらは、バッタンバンのバッタンバンのバッタンバンのシンボル・ター・ダンボン像

バンブートレイン

遺跡

等、色々楽しめるところもありますし、街もとてもきれいです。アンコールワットもよいですが、バッタンバンもとても良いところなので時間のある人は訪れることをお勧めします。時間があればダイジェスト版ではないバッタンバン旅行編も書こうかと思います。

そして11月の後半。初のシェムリアップアンコールワット)旅行に行きました。こちらも簡単に。

アンコールワット、アンコールトム、タープロム等有名どころを回ったほか、カンボジアの伝統舞踊であるアプサラダンスや、サーカスなども見て回りました。

そして12月。12月には、コンポンチュナン州に訪れてみました。こちらにも海外協力隊員が何人かいて案内してくれました。ありがたいありがたい。

チュナンには何もないという人もいますが、私の感想からするとそんなことはなく、とても良いところでした。街も奇麗でしたし、見るところもそこそこあります。

こちらは、コンポンチュナンの象徴。 コンポンチュナンというのは、

コンポン = 港 チュナン = 鍋 という意味があり、そこから来ているシンボルですね。

焼き物でも有名です。こちらでは自分でろくろを回したりさせてもらうこともできました。記念に一つ湯呑を作成してもらいました。

シェムリアップにもありますが、川の上に船でできた町があり、そこを観光することもできます。

観光のことばかり書いてしまっていますが、当然ながら平日は忙しく働いています。念のため(笑)。  何をして働いているかというと、私の場合コンピュータ技術での活動なので、データベースや Linux 等、コンピュータに関する授業教材を自分で作成し、生徒たちに教えています。しかも英語がそれほど通じないため、クメール語に翻訳したりもしていたので、教材作成にも時間がかかりますし、実際に教える際にもクメール語を使って話をするなど、かなり大変な毎日です。

12月には、私が住んでいるタクマウに比較的近い場所に3番目のイオンがプレオープンしました。(本格オープンは4月のようです。)

まだ一部出来ていないところはあるものの、イオン1よりかなり近いので、買い物には助かります。

そして、12月末には中間発表会。これまでの活動などをJICAで発表し(内容は略)

1月には、任地からの依頼で新しく、Python言語について学校の先生達に教えるという活動も行いました。(写真は省略)

そして、1月後半。新しい生徒達がやってきました。コロナの影響があるのかどうなのかわかりませんが、任地である職業訓練校の学期は、1月から6月。7月から12月の2学期にわかれているようです。

2月には、新しい学期で行うコンピュータ修理の授業に向けての準備作業などを行いました。具体的には、OSのバックアップ・リカバリ等の手順書の作成等です。

また、2月後半には、別のNGO団体である SALA SUSU さんが任地である職業訓練校にやってきました。彼らは Soft Skillの授業内容改善についての活動を行っており、先生達自身が集まって、授業をよりよくするにはどうすればよいか、自分で考えて先生達自信で議論を重ねるということをおこなっているようです。良い活動だと思うので、成果がでることをお祈りしています。

写真は、私の任地である学校にSALA SUSU およびプノンペン職業訓練校の先生達が来校して授業を見学後、内容や改善点について意見を交換しているところの写真です。

また、2月24日、2月25日には、CJCC (Camobodia Japan Cooperation Center) というところで、 Kizuna Festival という催しにJICAメンバーとして参加してきました。

Kizuna Festival - CJCC

私は書道グループとして、訪れるお客様に書道の手本を書いたり、書き方を教えたりといったことを行いました。幸いにして書道の催しは大盛況で、活動中お客様がひっきりなしに訪れてくれました。

その後、3月には任国外旅行としてマレーシアに訪れたり、日本からカンボジアに妻が訪れたりしてくれましたが、その最中にまた2度目のひどい食あたりをおこしたりして、今に至っています。

私の任期は7月21日まで。より正確には7月13日まで活動し、14日に最終報告。その翌週には表敬訪問等を行って帰国する形となります。

あと4か月足らずですが、悔いの無いように頑張っていこうと思います。

カンボジアの歯医者さん

また書く場所を間違えました。カンボジア語の練習用サブブログに書いたつもりなのに、ボケてます。すみません。消そうかと思ったのですが、そのまま残しておきます。

さて、先週ですが、前歯の詰め物がとれてしまい、日曜日に仕方なくプノンペンにある歯医者に行ってきました。

行ってきたのは Malis Dental Clinic.

日本人の医者が常駐しており、日本語での予約・診察も可能な歯医者です。

私は一応英会話は得意な方ですが、さすがに歯の状態を伝えたり、治療や料金の話を間違いなくするのにはやはり日本語で会話できる歯医者さんが安心です。

malis-dental.com

きれいなビルの13Fに歯医者さんがあり、

中もとてもきれいです。

写真はとれませんでしたが、治療器具も日本と変わらぬ最新の機器がそろっており、安心して治療ができます。

が、やはりお高い・・

① とれた前歯を治療して、仮歯をいれ、

② その後、金属の歯を入れる

という日本と変わらない治療ですが、総額が 460$くらい。もし仮にセラミックの歯を選ぶと、さらに総額が 200$ くらい追加になるということでした。

一応共済で補助が出る予定なのですが、日本の保険治療のありがたさを感じました。

皆さんも海外居住前にはきっちり治療してからでかけましょうね。私も派遣前には歯の総点検をしてから来たのですが、まさか詰め物が取れるとは思っていませんでした。

それではまた。

授業がキャンセル・・・前の日に教えてよー。。

ថ្ងៃពុធទី២១ខែកញ្ញាឆ្នាំ២០២២

ថ្ងៃនេះខ្ញុំភ្ញាក់ពីគេងលឿនជាងធម្មតា ដើម្បីទៅបង្រៀន ។

ប៉ុន្តែពេលខ្ញុំដល់សាលា ខ្ញុំលឺថាថ្ងៃនេះគ្មានថ្នាក់ព្រោះសិស្សនឹងដានផ្កានៅសាលា។

សូមប្រាប់ខ្ញុំពីម្សិលមិញ...

カンボジア・ローカルレストラン

誰も読んでいないほうのクメール語日記に書いていたのですが、これはメインに載せてもよいかなーと思ったのでこちらにも転載(^^.

ថ្ងៃអង្គារទី១៣ខែកញ្ញាឆ្នាំ២០២២ 2022/9/13 火曜日

昨日、校長先生が私と私の友達をクメールレストランに連れて行ってくれました。 ម្សិលមិញនាយកសាលាយកខ្ញុំនិងមិត្តភាក់ខ្ញុំទៅភៅជនីយដ្ឋានខ្មែរ។

食事するところは、池の周りにこんな感じの建物が複数あり、そこで食事をします。

出てきたのは、伝統的なクメール料理(らしい)

これは、雷魚かな。クメール語でトライロッ。

おまけ。 ここでは釣りもできるようで、食事中放置していた釣り竿に、大きなナマズがかかっていました。 4Kgあったそうです。

おまけ2

ペプシコーラカンボジア語で ( បុិបសុី )ペプシー と書いてあります(笑)。

クメール語の学習のため、誰も見てないサブブログのほうに細々と日記を書いていますが、時々はメインのブログのほうにも何か書こうと思ってます。

(でも、時間がなかなかないんですよねー。クメール語日記書いたら力尽きます(笑))

 時々でもこちらのブログを読んでくださっている方に感謝です。それではまた。

トンレッバッティー と タープローム遺跡 ( ទន្លេបាទី និង ប្រាសាទ​តាព្រហ្ម )

今日は少し前に行ったトンレッバッティーという場所とそこにあるタープローム遺跡について書きます。

タクマウの南西、タケオ州に少し入ったところにその場所はあります。

小さな遺跡ですが、かなり古い遺跡のようですね。 こんな小さな遺跡でも、観光客は時々訪れるのか、我々が訪れると、子供たちが花を売りつけに来ます。

最初断っていたのですが、かなりしつこいので面倒になって4000リエル(約1$)で購入。近くの仏像のところにお供えしましたが、間違いなくリサイクルでまた売るんだろうなと思いました。そして帰りに見ると当たり前のように花は全部なくなっていました(笑)

仏像の近くにもおじいさんおばあさんたちがいて、線香を渡してきます。これも当然ながら後からその分お金をくださいと言われるのですが(笑)

そして、近くの寺院にも行きました。

プノンペンからはちょっと遠くて不便ですが、寺院はともかくちゃんとした遺跡はなかなか珍しいので、もし近くに来る機会がありましたら是非どうぞ(^^

それではまた。

クメール語について

以前も少し書きましたが、カンボジアで使われている言語は、クメール語です。

一応毎日勉強しているんですが、今でも周りの人の会話はさっぱりわかりません。

ニュースもなるべく毎日見るようにしていますが、いくつか単語がわかる程度です

↓こんな感じです(^^

www.facebook.com

一応英語はそれなりに話せるし、聞いてもわかるのでその経験を生かせばクメール語もある程度早く学習できるんではないか?という甘い考えを持っていた時もありました。

が、

① クメール語は英語のように沢山教材がそろっているわけでもない。単語を覚えるにしても、英語のように英検4級レベル、3級レベル、2級レベル・・とかそんな本があるわけではなく、優先度をつけて覚えることが難しい。

② カナで聞き取っても、辞書で見つけられない   カ に近い音の文字が、 ក ខ គ ឃ
タ に近い音の文字が ត ថ ទ ធ とか、多いのでアルファベットのようにすぐ見つけられないんですよね。。。

話し言葉と、書き言葉が多分全然違う。  英語だと、習っていた表現が結構会話で出てきたりもしますが、なんかクメール語での友人同士の会話や、職場での雑談になると、もうほんとさっぱりわかりません。早いというのもありますが、なんか文法に従った会話というよりは、効率よく単語を並べて意味を伝えてる感がある気がします。(まだ良くわかってないですが)

 現在カンボジアに来てから4か月目。あと1年はこちらにいる予定なんですが、帰るまでにはある程度会話ができるようになるでしょうか。。なるといいな。